
派遣社員をやっていた頃の話
目次
貧乏で惨めだった若い頃

新卒で就職できずに非正規雇用で働く日々
大学の卒業を控えた20XX年、ボクは周りから言われシブシブ就職活動をしていました。
誰にも言えなかったけど、本音は就職なんかしたくないと思っていました。
就職氷河期真っ只中だったのでロクな仕事がなかったというのもありますが、それ以前にボク自身が社会不適合者でサラリーマンになって働くということが単純に嫌で嫌で仕方がなかったのです。
そんな働くモチベーションの低い三流文系大学の学生を採用する会社も無く、ボクは”新卒”という人生でたった一度しか使えない特権を活かせずフリーターになったのでした。
ボクの数少ない友達は営業や販売などの仕事で就職が決まっていたようですが、ボクは絶対にそんな仕事辞めたくなるだろうと思っていたので特に羨ましいとかの感情はありませんでした。
それよりも、大学の学費を親に負担してもらって、さらに奨学金を借りてまで故郷から離れた土地で大学を卒業したのに、就職できずにフリーターになってしまった自分の情けなさ惨めさに涙が出そうになっていたのでした。

工場の非正規雇用の仕事で食い繫ぐ日々
就職は出来なかったですが、食っていくためには何か仕事をして稼がなければいけません。
当時ボクは家賃3万8千円のウサギ小屋のような狭い部屋で一人暮らしをしていました。
実家に帰るという選択肢は有りません。
両親はボクが大学在学中に離婚しており、母は実家を出て他の土地で暮らしていました。
父はアル中でトラブルを何度か起こし、職を失っていました。我慢の限界だった母に見捨てられたのです。
当時はインターネットなんて便利なものは有りません。
ボクは新聞の求人広告に赤ペンで丸を付けて、給料が良かった工場の仕事に電話をして応募したのでした。
工場のバイトや派遣は人付き合いが苦手な自分には良い仕事でした。
物を相手にする仕事なので、お客さんからクレームを言われることもないし、気の合いそうもない同僚と無理に仲良くする必要もありません。
給料もそこそこ良いし休日も基本は土日休みなので地方都市でなんとか一人暮らしを続けることができました。
最初は良いやと思っていた工場も慣れてくると悪い部分が見えてきます。
キツかったのは閉鎖的な空間で毎日同じことを繰り返すことや、基本同じ人間と一日中一緒に働くので段々と仲が悪くなってくるということでした。
立ち仕事で残業も多いし夜勤もあったので若くても体力的にキツいこともありました。
未来に希望が持てない

そして一番応えたのが、この生活を続けても未来に何も残らないだろうなという絶望感でした。
バイトや派遣じゃボーナスがありません。
一人暮らしだと貯金もできないし、給料日から給料日に食いつなぐだけの生活です。
そして段々自分が歳を取っていくにつれて、自分がずっと組織の一番下っぱで単純作業しかしていないことに焦りを感じてきたのでした。
どうしよう。気がついたら社会の底辺層の人間になっているじゃないか。
ここから脱出するにはどうすればいいのか判らないまま、ボクは20代後半に差し掛かっていたのでした。
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