泣いてる少年

毒親の元に生まれた苦しみ

※この記事は2021/11/28 noteに投稿した記事を転載したものです。

泣いてる少年

毒親という言葉を知ったのは大人になってからだった。

本屋で陳列されていたスーザン・フォワードの『毒にやる親 一生苦しむ子供』という本を見つけた時が最初だ。

まだネットが発達していなくてSNSで毒親という言葉を頻繁に見かける前の話だ。タイトルに惹かれてパラパラと中身を立ち読みした時の「あぁ!これは自分の母親のことだ!」と強く思った事を今でも覚えてる。全部読みたくて本を買って帰った。

自分の人生を振り返ると、幼少の頃が人生で唯一幸せな日々だった。まだ自分が小さい頃は母も優しかった。無条件にありのままの自分を受け入れてくれた。自分は愛されて生きていて安心感と自信を感じる事が出来た。そんな日々がずっと続いてくれていたら、僕の人格形成も全然今と違っていただろうなと思う。

多分、まだ両親の新婚時代は絵に描いたような幸せな家庭だったと思う。田舎だけど一戸建てのマイホームがあって、子供が2人いて子供が幼少の頃は母が専業主婦でいられる余裕もあった。しかし幸せな時代は短い間で終わってしまった。

母は専業主婦だった頃、時間に余裕があったのだろう。パチンコ店で知り合った男と不倫をするようになった。自分と弟を連れて不倫相手と一緒に連れ込み宿みたいな所へ行った事もある。襖の向こうで母は不倫相手と男女の営みをしていた。襖を開けようとして怒られた時に見た光景を今だに鮮明に覚えてる。

やがて不倫はバレて親戚中から母は怒られていた。父が母を責めていたところを見た記憶はない。内心どう思っていたのか知らないけど、父はそんな母を許していた。まだ幼い子供がいたから離婚を踏み留まったのかも知れない。その時の父の気持ちを思うと本当に辛かっただろうなと思う。

僕が小学生低学年くらいの頃から段々と家庭の雰囲気は変わって行ってしまう。母は生活の為にパートに働きに出るようになる。専業主婦をやっていた頃は優しかったのに、働きに出るようになってから段々と母はヒステリックに怒るようになってきた。父は父で酒を飲む量が増えて、酒癖が悪くなってきた。酔うと怒鳴り声を出して家族を怯えさせるようになった。

小学校3年生くらいから母が勉強を強制するようになってきて、塾に無理やり行かされた。休日も自由に遊ぶ事が許されなくなって、勉強時間を決められて8〜10時までは勉強の時間と決められてしまった。サボると感情的になってキレるので、本当はやりたくなかったのに渋々勉強をするようになった。

学校のテストの点が悪いと、ヒステリックに怒鳴り散らされた。こっちの言い分なんて何も聞いてくれない。ただ強制的に勉強しろと言われ、テストの点が悪いと一方的に叱られた。まだ小さい頃は優しい母だったのに、なんでこんなに変わってしまうのだろう。

母は人に気を使って言葉を選ぶような人ではなく、思った事をズケズケと口に出すタイプなので傷付くような言葉を言われたこともあった。

両親とも生活の為の労働に追われて精神的に余裕が無くなっていったのかも知れない。今は週休2日で働く事が普通になってきたけど、自分が子供頃は大人は週6日で働いていた。そんな労働を何年も続けていたら、そりゃ精神的にも肉体的にも疲れてくるだろうと思う。

酒を飲む男

また父の酒癖が悪くなったのは母の不倫がバレた後の事だから、かなり父の心の傷になっていたのだろう。父のアルコール依存症は年々酷くなっていった。僕が中学生くらいの頃から母との口論が絶えなくなり、家は自分にとって安心して過ごせる場所で無くなっていった。

母は良く泣きながら影で父の悪口を子供に吹き込んでいた。親がやってはいけない事の一つに影でもう片方の親の悪口を子供に言う事だ。子供にとってはたった一人の父親(母親)なのに、悪口を聞かされるのは辛い気持ちになる。母は「離婚したいけど、お前達(自分と弟)の事を思うと離婚できない」と言っていた。

そんな事気にせずに離婚すれば良いのにと思ったけど、母は自分の言うことを聞くような人じゃなかったから何も言わなかった。結局両親は僕が大学生の頃に離婚してしまった。

そんな風に過干渉の母と家庭には無関心なアルコール依存症の父がいる家庭で僕は育った。正直、家に居ることが辛くて早く大人になって1日でも早く家から出たかった。

何かで見たけど、子供というのは自分が愛されて守られていると感じる事で初めて積極的に外の世界へ出ていったり行動できるようになると言う。それはそうだろう。子供にとっては親に愛されて守られていないと生きていけない訳だから、そこが満たされていないと生きる基盤が揺らぐ事になる。

自分は両親から無条件に愛されていると言う安心感が欲しかっただけだ。特に母からの愛情が欲しかった。だけど、母がやった事は過干渉と子供を支配して思い通りにしようとしただけだ。

母は自分の価値観を僕に押し付けるけど、僕の意見は尊重してくれなかった。ありのままの自分を受け入れて貰えないと言う寂しさともどかしさを常に感じていた。今でもそんな母から無条件の愛を受けられなかった事が自分の人生に影を落としていると思う。

思春期や大人になってからも何をやっても満たされない虚しさがあった。いつも気が晴れなかったし、自分に自信が持てなかった。引っ込み思案で他人の顔色を伺うような人間になってしまった。

工場労働者

今は僕もいい大人になったから、父と母が感じたであろう苦しみや辛さは想像が付く。子供の頃を思い出すと両親は経済的にも精神的にも余裕が無さそうだった。

今更言ってもしょうがない事だけど、もし両親が自分や弟を作らずに夫婦二人で生きていれば、もっと経済的にも精神的も余裕のある人生だったんじゃないだろうかと思う事がある。そうすれば、家庭がグチャグチャになって崩壊するようなことも無かったんじゃないかと。

正直、精神的に不安定だったり経済的に余裕が無い人は子供を作るべきじゃないと僕は思う。生まれてくる子供も可哀想だし、親も苦労するしお互いに不幸なだけだ。

僕はもう40代半ばまで来てしまったから、おそらくこのままずっと満たされない気持ちを死ぬまで抱いたまま生きていくんだろうなと思う。

正直親を恨む気持ちもあるけれど、それよりも可哀想な自分を救ってあげたい。自分が出来る事と言えば、こうして感じた気持ちを書き記して自分の中にあるモヤモヤを発散させてあげる事だと思う。少しづつでも良いから自分の人生を良い方向に変えていきたい。

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